2025年9月号
BUSINESS
[救いの神]
by
三山秀昭
(ジャーナリスト)
「めざせ世界一!」ホークス優勝祈願絵馬(写真は筆者提供)
「流通革命」の先駆者で、一時はわが国最大の小売業の座にあったスーパー「ダイエー」はついに2004年10月13日、産業再生機構に支援を要請した。「機構」は経営危機の企業と融資している金融機関を救済する目的で前年に法律に基づき設置された組織。当然、政府の影響力が強く働く。このためダイエー社長・高木邦夫は経済産業省に大臣・中川昭一を訪ね、支援要請を報告した。表面上はダイエー自身の決断に見える。しかし、実態はまるで違う。1年以上前から銀行団が機構の活用による再建を迫っていたが、「中内体制」のダイエーは自主再建に拘り、決断が遅れに遅れた。このため裏で機構は9月15日にダイエーと秘密保持契約を締結、デューデリジェンス(資産査定)を始めていた。相当な強権発動だ。ダイエーは断末魔の「決断」に追い込まれたのだ。これはダイエーの子会社の「福岡ダイエーホークス」も一時的に機構、つまり事実上、政府の管理下に置かれることを意味する。「国営球団ホークス」なのだ。
全くの偶然だが同じ10月13日、「パ・リーグでもう一組の合併をするので、10球団で1リーグに」と息巻いていた西武・堤義明は名義株問題の責任を取り、ライオンズオーナーを含め、西武グループ全役職から辞任した。後に有価証券報告書虚偽記載、インサイダー取引で懲役2年6か月、執行猶予4年、罰金500万円の刑を受ける。法人として西武鉄道、親会社の「コクド」にも罰金計3億5千万円が科された。ダイエー「中内王国」と西武「堤王国」が同じ日に瓦解したことになる。
左から孫正義オーナー、王貞治球団会長、後藤芳光オーナー代行(24年9月23日)
Photo:Jiji
ソフトバンクグループ(SBG)の総帥・孫正義の動きは素早かった。ダイエーの支援要請から2日後、金曜日の15日に福岡県庁に電話を入れてアポを取り、週明け月曜18日午前には知事・麻生渡と面談した。「ダイエーホークスを買収したい。福岡からは離れない。協力をお願いしたい」。前年からダイエーの行く末にやきもきしていた麻生が「全面協力」を約束したのは当然だった。というのは1978年に「クラウンライター・ライオンズ(旧西鉄)」が西武に買収され、埼玉県所沢に本拠地を移して以来、九州・福岡は「10年間のプロ野球空白地帯」という苦い経験を味わっていたからだ。「福岡を離れない」は麻生にとって安堵する情報だった。
孫は福岡市内で記者会見し、雄弁に語った。「知事に協力要請してきた。私は子供のころ福岡で育った野球少年、サードで3番だった。以前から球界への参入の意志はあったが、事前に動くと迷惑をかけるので控えていた。ダイエーさんが正式に支援要請されたので名乗りを上げた」「ソフトバンクGは保有株の含み益が2兆円ある。現預金だけでも5000億円ある。通信事業の顧客獲得に1000億円使っており、球団の年間赤字数十億円は問題にならない」「球団保有は企業イメージや認知度アップには大きな力になる。参入が認められれば本拠地は福岡としたい。球団名『ホークス』は残す。王監督は私が子供の時から尊敬している人。来季以降も指揮を執ってほしい」と。
「福岡」「ホークス」「王」の三点セットをすべて引き継ぐという。記者会見場のスクリーンには、この年パ・リーグで初めて導入されたプレーオフで西武に敗れた監督・王貞治の映像がアップされた。「日本シリーズに出られなかったことは悔しい。来年お返ししたい」というコメントが流れた。準備万端だったことを物語っている。
孫はその日に東京でも記者会見、翌19日には産業再生機構社長・斉藤惇(後のプロ野球コミッショナー)に面談、「ダイエーの資産査定を公正に進めてもらい、私どもにもチャンスを頂きたい」と要請した。好感触を得た。
ここまではスムーズだった。ただ、プロ野球界に参入する以上、NPB(日本プロ野球機構)コミッショナーや野球界のドンとされる読売新聞社長・渡邉恒雄へのアプローチが必須だが、そのパイプがない。ところがある因縁がシナリオを動かす。キーマンはSBGの財務部長・後藤芳光(現在はSBGの最高財務責任者CFO)だ。
彼はかつて安田信託銀行に籍を置いていた。しかし、1997年に北海道拓殖銀行や山一証券が破綻、「大手20行は絶対潰さない」との蔵相・三塚博の「公約」も虚しく、日本全体が「金融危機」に陥る。後藤がいた安田信託では札幌支店で預金者が預金引き出しに殺到する「取り付け騒ぎ」まで起きた。2002年には富士銀行と第一勧銀、それに「国策銀行」とされた日本興業銀行が歴史的合併をして「みずほ銀行」が誕生するという時代の前兆にあった。そんな金融ビッグバンの中で後藤は孫に引き抜かれ、SBGの財務部長に就いた。彼の金融、財務の識見を買っての孫のハンティングだった。孫が世界中を飛び回りM&Aや投資案件を決めてくるので、その資金手当てや財務面でファローする懐刀で、孫の信頼が極めて高い人物だ。その後藤が一言、孫に呟いた。
「あのー、何ならウチのおやじに頼んで読売の渡邉さんに繋いでもらいましょうか」
後藤の父・文生は元読売新聞社会部記者。婦人部長、社会部長、事業局長を務め、渡邉が信頼する部下の一人だった。当時は日本テレビ系列の広島テレビの社長だった。私の2代前の広テレ社長だ。後藤芳光の思わぬ血縁人脈に孫は飛びつき、「それはいい。頼む。急げ」と指示した。芳光から電話でコトの次第を聞いた父親の後藤はすぐに動き出す。
広島テレビの秘書に残る記録によれば、社長・後藤文生は10月21日午前、全日空便で上京する。この日は広島テレビも加盟する民間放送連盟の放送計画委員会が予定されていたが、急遽、キャンセルしている。そして22日の日程には「YS」とだけ書かれている。Yが「読売」、Sが「ソフトバンク」と思われる。当時の会長や社長の日程は面談相手など詳しく書かれているのに、ここだけはイニシャルだけの「伏字」だ。「極秘」だったことを物語る。
後年、私は後藤から「社長としての引継ぎ事項」として概略を聞いたが、後藤は孫正義を渡邉に引き合わせたのだ。渡邉は当初、「ソフトバンクという企業は具体的にはどんな実業をやっているのか」と実態を掴みかねていた。しかし、東京・大手町の和食店でじっくり話し込むと「財務はしっかりしている。球団を短期間で売り渡すことはない。ワンちゃん(王監督)も抱えてくれる」とすっかりほれ込んだ。渡邉は日を置かずにコミッショナー・根來泰周に電話をかけ「孫正義はいいよ。ダイエーの買い手はソフトバンクでいいじゃないか」と伝え、根來も了解した。当時、渡邉は「たかが選手発言」や巨人の新人選手獲得に関するスカウトの不祥事で巨人軍オーナーを辞めていたが、球界の実力者であることには変わりはなかった。新オーナーとオーナー会議議長を引き継いだ巨人・滝鼻卓雄に事情を説明、孫と滝鼻はすぐに連絡を取り合った。これで「ホークス」がソフトバンクの「ホークス」になる障壁はなくなった。後日、私は渡邉から「通常、球団のオーナーや監督は『目標は優勝、日本一』と言うが、孫は『目指すは世界一です。日本シリーズの覇者とメジャーの覇者で本当のワールドシリーズをやり、真の世界一を決めたい』と夢を語っていた」と聞かされた。
何のことはない。「10球団1リーグ論者」と一部球団やスポーツ紙から誤解されていた渡邉がダイエーの受け皿としてソフトバンクを後押しし、パ・リーグ球団のマイナス1を防いだのだ。残るは手続きだけで12月6日のNPBによる公開ヒアリング、20日の実行委員会、クリスマスイブ24日のオーナー会議とスムーズにコトが流れた。
24日に福岡で記者会見した孫は「福岡」「ホークス」「王」の三点セットに加え「王さんには監督に加え、球団のゼネラルマネージャー(GM、フロントのトップ)もお願いしたい」と表明した。黄色と黒の球団のロゴマークも公表され、会見に同席した王監督GMは「孫正義オーナーから『私の夢は日本一ではない。世界一だ』と言われた」と感激した表情で新生ホークスの門出を語った。
実はSBGが引き継いだのは三点セットだけではなかった。ダイエーホークスの球団応援歌に「玄界灘の潮風に…いざゆけ炎の…ダイエーホークス」があるが、王貞治の後援会「王友会」会長の大野茂(九州電力相談役)から遠慮がちに「できれば応援歌も残していただけないか」と言われた新オーナー孫は「わかりました。そうしましょう」と即座に応じた。もちろん「ダイエー」の部分だけは「ソフトバンク」と言い替えたが「字余り」なのでファンは今、「ソフバンクホークス」と「ト」を抜いて縮めて歌っている。
ホークスは毎年、日本三大八幡宮の福岡「筥崎(はこざき)宮」に優勝祈願している。2025年の祈願の奉納絵馬には「めざせ世界一!」(冒頭写真)とあり、中央に監督・小久保裕紀、左右に王貞治、後藤芳光の自書があり、選手の名前がずらり並ぶ。孫の「世界一」は実現していないが、「夢」としては繋がっている。
孫のSBGはダイエー・中内㓛の「球団は本業の商売道具」という考えではなく、球団そのものをスポーツビジネスと捉え、4年連続で日本シリーズを制覇するなどパの上位の常連となっている。
パ・リーグ初優勝。胴上げされる楽天の三木谷浩史オーナー(13年9月26日)
SBGのダイエー買収よりも1カ月ほど先行するが、もう一つ極秘の動きが始まっていた。表舞台では選手会によるストライキで球界が発足以来の大混乱に陥っている中で、「球界の危機」をどう救うかが課題だった。
9月6日月曜日午前、プロ野球選手会が神戸で臨時運営委員会を開き、ストライキを決行するかどうかの協議を始めた。「オリックスと近鉄の合併を一年凍結しない限りストに突入する」という構えだった。読売新聞グループ本社社長室次長・法務部長の山口寿一は、そのことを伝えるNHK昼のニュースを見ていた。「この状況を変えるにはどこかが参入表明してパが6球団に戻る以外にないのでは」と思いを巡らせた。そこでかねて知り合いの弁護士でビジネスコンサルタント社長の井上智治に電話をかけた。「そもそもプロ野球界の危機はパの赤字体質にある。球団の赤字に耐えられるしっかりしたオーナー企業で、野球界への新規参入に興味ある企業はないだろうか」。1時間も経たないうちに返電があった。「楽天はどうか。三木谷社長が話を聞きたがっている」と伝えて来た。
「三木谷さんに会いましょう」。六本木ヒルズ森タワーの楽天本社に出向くことになった。ただ、急なことで、三木谷・山口会談が「8、9、10のいずれかであることは間違いないが、メモが残っていないので日時は特定できない」と山口は言う。
山口は楽天グループトップの三木谷浩史に球界の現状や特にパ・リーグの赤字体質について丁寧に説明、参入を打診した。オーナー経営者三木谷の決断は、ソフトバンクの孫正義同様、素早かった。
「楽天、プロ野球に新規参入」。またも日経が9月15日付朝刊でスクープした。ただ、本拠地を「神戸」と報じた。三木谷は神戸生まれで、個人出資して立ち上げたJリーグ「ヴィッセル」も神戸を本拠地としていた。しかし、関西はセの阪神、パのオリックスが本拠地としており、近鉄がオリックスに買収されたばかりで、新天地を求め、本拠地は宮城県と決めた。日経の報道を受けて三木谷は翌16日に「来週中にNPBに加盟申請する」と明言した。
しかし、ここでまたまた近鉄の買収騒動で敗北したライブドア(LD)の堀江貴文が登場する。同じ16日に宮城県庁で知事・浅野史郎が記者会見した。「9日に堀江さんと会った。『プロ野球に参入したい。本拠地を宮城県にしたい』と言われ、快諾した。東北はプロ野球の空白地帯。地域に密着した球団運営をお願いした」と明かした。
新規参入争いは表面上、楽天とライブドア(LD)の一騎打ちとなった。しかし、結果は見えていた。NPBは一応、「公正」と「透明」な審査を経る手続きを取り、審査小委員会を設置、6項目について両社を審査した。小委員会に楽天の三木谷はスーツ姿で出席、LDの堀江はいつものようにノーネクタイとジャケット姿。もちろん、それ自体は審査対象ではないが、両社の総資産、売上高、経常利益など財務面では楽天がLDより優位なことは歴然としていた。球界では堀江は仮に球団を持っても短期間で売却し、利ザヤを稼ぐのではないか、との懸念が強かっただけに、財務だけで勝負あった感があった。IT関連の両社とも無修正のアダルトビデオを流していたが、堀江は「場を提供しているだけ。完全排除は困難」と主張したのに対し、三木谷は「利用者はクレジットカードで本人確認をしており、青少年は見られない」と答えた。さらに係争中の案件があるかどうか聞かれ、三木谷は「民事、刑事案件ともにない」と答え、堀江は「両方ある」と認めた。
こんな経緯から11月2日にパ・リーグ理事会、両リーグによる実行委員会、オーナー会議が一日の間に流れ作業のように開かれた。審査結果が報告され、オーナー会議は「新規参入球団は楽天」と決定した。プロ野球界で既存集団の買収事例は数多くあるが、新規参入が認められたのは51年ぶりのことである。こうして、オリックスの近鉄買収から始まった球界再編騒動は、結局はセパ6球団の2リーグ12球団に戻った。そして楽天は2011年の東日本大震災を受け、「がんばろう東北」で結束し、13年に日本一に輝いている。
以上の実話からも、SBGのダイエー買収は巨人前オーナーの渡邉が後押しし、楽天を発掘してきたのも現巨人軍オーナー・山口寿一であることがわかる。巨人は一時「パの危機=球界全体の危機」と捉え、「パで2組の合併が成立して10球団になれば」との条件付きで1リーグを検討したことは事実だ。しかし、「自球団だけ、セ・リーグだけの利益」に拘る阪神などの抵抗に遭い、そこに選手会のストが重なった。そんな大混乱を収拾し、「覆水を盆に返した」のはほかならぬ読売・巨人であることはあまり知られていない。
プロ野球界は2004年の球界初のストという大混乱を経て、05年からセパ交流戦が導入されるなど、改革が進む。特にパはSBGや楽天、日本ハムなどが「親会社の宣伝ツール」という発想から脱却し、自立したスポーツビジネスとして様変わりして、スタジアムの新設、改築や試合の配信などをテコに隆盛に転じている。
(敬称略、肩書は当時)